1959-62 Survey
Known widely as the Tomb of Muḥammad Shāh Saiyid. Located approximately 750 m east-northeast from the Tomb of Safdar Jang, about 100 m north of Lodī Road, inside Lodī Park. Grid ref. H-9
This is a domed building with an octagonal plan (with each external side measuring 9.6 m), an octagonal tomb room, and a corridor surrounding the room. Each side of the corridor has three arches with buttresses supporting the corners. The rooftop of the corridor is a veranda; on each side is an eight-pillared chahatri with a small dome, for a total of eight chahatris. Each side of the tomb room is 4 m, all sides except the west are open, and it appears that there were originally doors and stone screens covering these openings. The west side probably had a miḥrāb that was destroyed in later years; currently it is closed off with uneven layers of stones. The interior of the large dome is decorated with circle designs in the center, the surrounding cross vaults, and the inscriptions and designs encircling the base. Eight tombstones remain, with the center tombstone being the largest.
This building has always been thought to be the tomb of Muḥammad Shāh, sulṭān of the Saiyid Dynasty, though there is no definitive proof.
ムハンマド=シヤー=サイイド(Muhammad Shah Saiyid)の墓としてひろく知られており,サフダル=ジャングの墓の東北東約750メートル,ローディー=ロードの北約100メートル,ローディー公園の内部にある。附図.H-9
ドームをいただく外辺9.6メートルの八角平面の建物で,八角形の墓室と,それをとり囲む廻廊とからなっている。廻廊のそれぞれの面は,三つのアーチをもっており,隅の部分は,バットレスによって補強されている。廻廊の屋上はヴェランダになっていて,小さなドームをのせる八本柱からなるチャハトリが,それぞれの面に一つずつ配置されている。一辺4メートルの墓室の各面は,西をのぞいて開かれているが,本来は,扉や石のスクリーンがはめられていたものらしい。西側は,かつてはミヒラーブをそなえていたと思われるが,その後破壊されたらしく,現在では,後代の乱雑な積み石によってふさがれている。大ドームの内部は,中央の円形文様と周囲の交叉アーチや,基部をめぐる碑文・文様などによって飾られている。8基の墓石が現存しているが,中央のものがもっとも大きい。
この建物は,これまで,サイイド朝のスルターンであるムハンマド=シャーの墓とされてきたが,それを裏づける確かな証拠はない。第Ⅲ期。
東研.Ⅲ-1;ASI.Ⅱ-43
2015-18 Survey
This is preserved as a monument in Lodhi Park.
[現状]Lodhi公園のモニュメントとして残され、保存される。
[平面]T76、T77につぐ8角形周廊墓。
[外観]1辺に3つのアーチをもち、持送で軒を支え、コーニスを介して多弁形頂部飾を回し、隅部にタレットをたてる。各辺中央部に8本柱のチャトリがのるがチャトリに軒はなく、チャトリのドーム内にもそれぞれ星形交差文様を描く。中央16角形ドラムに多弁形頂部飾を回し、隅部にタレットをたてる。ドーム外観は4心アーチ状で頂部には大きな蓮弁がのる。
[中央墓室内観] 8アーチを開口し、開口部に持送と梁を挿入し、下部矩形部と上部アーチ部に分ける。西面下部矩形部はミフラーブとして閉じるが1959-62年にもミフラーブは残らない。下部開口部の墓室側と周廊側に柱をたて、4本の柱上に2本の梁を渡し、周廊側にジャリ等の間仕切りをはめ込んだ痕跡が残る。8つのアーチの上部隅の持送で16角形を導き、16連アーチのドラムとし、ミフラーブ直上北寄りのアーチと点対称位置の4つのアーチは開口し、ミフラーブ直上北寄りの開口アーチ下に特別な窓台を設ける。さらに持送で32角形を導き、4層の帯状の装飾帯を介してドームをのせる。ドームには、星形交差文様を刻む。ミフラーブの直上部に涙形のメダイオンを支える模様を挿入する。
[周廊内観]各辺中央に2つの横断アーチを架け、外周には各辺3つのアーチが架かる。各辺中央の8つの正方形天井と、隣り合う辺をつなぐ8つのへの字型天井に区分し、前者には花弁状リブ・ドーム、後者にはクロス・ヴォールトを架ける。花弁状リブ・ドームは3段のムカルナス状の倒立三角形で支えられる。周廊外側8隅は太いピアで、バットレスを張り出し、その間には内外に長い矩形の対の切石柱を用い、柱頭は葉状の装飾をもつ。ミフラーブの裏側は中央部を突出し、頂部飾とコーニスを彫刻する。
Mission Credit Line : Mission for Indian History and Archaeology, University of Tokyo, in 1959-60 , 1961-62: the Resurvey of the Delhi Monuments, Research and Information Center for Asian Studies, Institute for Advanced Studies on Asia, University of Tokyo in 2015-18.
Map Reference : Grid ref. G-12, Ill. 22.
IOC Reference : T78, Ⅲ-1;
ASI Reference :Ⅱ-43
Archived IOC Site Record: https://perma.cc/574E-WDBD
1959-62 Survey
Known widely as the Tomb of Muḥammad Shāh Saiyid. Located approximately 750 m east-northeast from the Tomb of Safdar Jang, about 100 m north of Lodī Road, inside Lodī Park. Grid ref. H-9
This is a domed building with an octagonal plan (with each external side measuring 9.6 m), an octagonal tomb room, and a corridor surrounding the room. Each side of the corridor has three arches with buttresses supporting the corners. The rooftop of the corridor is a veranda; on each side is an eight-pillared chahatri with a small dome, for a total of eight chahatris. Each side of the tomb room is 4 m, all sides except the west are open, and it appears that there were originally doors and stone screens covering these openings. The west side probably had a miḥrāb that was destroyed in later years; currently it is closed off with uneven layers of stones. The interior of the large dome is decorated with circle designs in the center, the surrounding cross vaults, and the inscriptions and designs encircling the base. Eight tombstones remain, with the center tombstone being the largest.
This building has always been thought to be the tomb of Muḥammad Shāh, sulṭān of the Saiyid Dynasty, though there is no definitive proof.
ムハンマド=シヤー=サイイド(Muhammad Shah Saiyid)の墓としてひろく知られており,サフダル=ジャングの墓の東北東約750メートル,ローディー=ロードの北約100メートル,ローディー公園の内部にある。附図.H-9
ドームをいただく外辺9.6メートルの八角平面の建物で,八角形の墓室と,それをとり囲む廻廊とからなっている。廻廊のそれぞれの面は,三つのアーチをもっており,隅の部分は,バットレスによって補強されている。廻廊の屋上はヴェランダになっていて,小さなドームをのせる八本柱からなるチャハトリが,それぞれの面に一つずつ配置されている。一辺4メートルの墓室の各面は,西をのぞいて開かれているが,本来は,扉や石のスクリーンがはめられていたものらしい。西側は,かつてはミヒラーブをそなえていたと思われるが,その後破壊されたらしく,現在では,後代の乱雑な積み石によってふさがれている。大ドームの内部は,中央の円形文様と周囲の交叉アーチや,基部をめぐる碑文・文様などによって飾られている。8基の墓石が現存しているが,中央のものがもっとも大きい。
この建物は,これまで,サイイド朝のスルターンであるムハンマド=シャーの墓とされてきたが,それを裏づける確かな証拠はない。第Ⅲ期。
東研.Ⅲ-1;ASI.Ⅱ-43
2015-18 Survey
This is preserved as a monument in Lodhi Park.
[現状]Lodhi公園のモニュメントとして残され、保存される。
[平面]T76、T77につぐ8角形周廊墓。
[外観]1辺に3つのアーチをもち、持送で軒を支え、コーニスを介して多弁形頂部飾を回し、隅部にタレットをたてる。各辺中央部に8本柱のチャトリがのるがチャトリに軒はなく、チャトリのドーム内にもそれぞれ星形交差文様を描く。中央16角形ドラムに多弁形頂部飾を回し、隅部にタレットをたてる。ドーム外観は4心アーチ状で頂部には大きな蓮弁がのる。
[中央墓室内観] 8アーチを開口し、開口部に持送と梁を挿入し、下部矩形部と上部アーチ部に分ける。西面下部矩形部はミフラーブとして閉じるが1959-62年にもミフラーブは残らない。下部開口部の墓室側と周廊側に柱をたて、4本の柱上に2本の梁を渡し、周廊側にジャリ等の間仕切りをはめ込んだ痕跡が残る。8つのアーチの上部隅の持送で16角形を導き、16連アーチのドラムとし、ミフラーブ直上北寄りのアーチと点対称位置の4つのアーチは開口し、ミフラーブ直上北寄りの開口アーチ下に特別な窓台を設ける。さらに持送で32角形を導き、4層の帯状の装飾帯を介してドームをのせる。ドームには、星形交差文様を刻む。ミフラーブの直上部に涙形のメダイオンを支える模様を挿入する。
[周廊内観]各辺中央に2つの横断アーチを架け、外周には各辺3つのアーチが架かる。各辺中央の8つの正方形天井と、隣り合う辺をつなぐ8つのへの字型天井に区分し、前者には花弁状リブ・ドーム、後者にはクロス・ヴォールトを架ける。花弁状リブ・ドームは3段のムカルナス状の倒立三角形で支えられる。周廊外側8隅は太いピアで、バットレスを張り出し、その間には内外に長い矩形の対の切石柱を用い、柱頭は葉状の装飾をもつ。ミフラーブの裏側は中央部を突出し、頂部飾とコーニスを彫刻する。
Mission Credit Line : Mission for Indian History and Archaeology, University of Tokyo, in 1959-60 , 1961-62: the Resurvey of the Delhi Monuments, Research and Information Center for Asian Studies, Institute for Advanced Studies on Asia, University of Tokyo in 2015-18.
Map Reference : Grid ref. G-12, Ill. 22.
IOC Reference : T78, Ⅲ-1;
ASI Reference :Ⅱ-43
Archived IOC Site Record: https://perma.cc/574E-WDBD